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マドンナとマラウイの深い溝

マドンナは、4/1に2年ぶりにマラウイを訪れたようです。プライベートジェットでリロングウェ空港に到着後、常宿としているリロングウェ市内から少し離れたクンバリロッジに宿泊していたようです。今回の訪問に際しては、2006年と2009年にそれぞれマラウイから養子とした迎えたデビットくんとマーシーちゃんも同行しています。マドンナが設立した慈善団体の「レイジング・マラウイ」を通じて、国際NPO「buildOn」に資金協力して建設された中部カスングの学校を2校を訪問しています。そのほか、南部の商業都市のブランタイヤのクイーンエリザベス病院を訪問し、小児外科医の人材育成のサポートを受けている研修医と面会、そして、最後にリロングウェ近郊のナミテテにある孤児・虐待児の保護施設であるコンソールホームズを訪問したようです。

と、ここまでは良い感じの話なのですが、マラウイ政府は、マドンナがマラウイ訪問中に国賓としての特別待遇を求めたとして非難しています。具体的には、国賓として大統領との面会を求めレッドカーペットを敷いて礼砲で出迎えるべきと主張したとしています。一方、マドンナは、そうしたことは要求していないし、これまでマラウイに対して尽力してきたことが理解されず遺憾、と声明を発表しています。

マドンナは、2006年に孤児院を訪問し、デビットくん(当時2歳)を養子にしています。ただ孤児院にいたのですが、母親は亡くなったのですが父親はおり、この父親の同意を得て養子としました。マラウイでは、同国に2年以上の在住をした者でないと養子は出来ないとされており、裁判所が例外的に認めたもので、論争となっていました。その後、2009年にマーシーちゃんも養子にしていますがこのときも居住条件が同様に問題となり、一度は裁判所が却下したものの、マドンナ側が控訴し、裁判所がマドンナの孤児院などの支援活動を考慮し、例外的に認めていました。

マドンナは、2006年に慈善団体「レイジング・マラウイ」を設立し、孤児院などの支援活動をしてきました。今回の溝を作ったきっかけとなったのは、女学校建設。リロングウェ郊外の空港近くに女学校を建設し500人の女学生を受け入れる予定でした。2011年12月に完成を目指していたのですが、土地の所有権や資金運用で問題が発生し、2010年12月に建設は頓挫しました。これによりスタッフは解雇されたのですが、2011年3月にこのレイジング・マラウイのスタッフ8名が不当解雇と給与未払いでマドンナに対して訴訟を起こしています。この当時のレイジング・マラウイの責任者がジョイスバンダ大統領の妹であるアンジミレ・オポンヨ氏です。なんとなく見えてきたと思います。彼女は現在は教育省の首席秘書官となっています。

そして、もう一つは女学校建設の頓挫後です。マドンナは、2011年1月に女学校プロジェクトの代わりに、より多くの児童が関わる形を考えていることを示唆する声明を発表し、翌2012年1月に米国拠点の国際NGO「BuildOn」に資金30万ドル(約2400万円)を拠出し、マラウイに10校の学校を建設すると発表しました。このときもマラウイ当局は協議なしで発表したとして不快感を表明しています。このときは独裁色の強くなっていたムタリカ大統領のときでした。ムタリカ大統領は昨年(2012)の4月に心臓発作で急死しており、副大統領であったジョイスバンダ氏が大統領に昇格しました。

学校の方ですが、昨年(2012)の12/28に小学校を10校建設したことを発表しました。約5,000人の児童が受け入れ可能になったと述べています。しかし、今年の1月に入り、マラウイ教育大臣は、マドンナは10校建設したのではなく、校舎を10棟建設したのであり、すでにある小学校を含めているとし事実誤認があるとコメントしています。

ちょっと長くなりましたが、こんな背景があり、マドンナとマラウイ政府との間には深い溝があるようです。マドンナは昨年の4月にジョイスバンダ氏が大統領に就任した際に、歓迎する旨の声明を発表していますが、マラウイ政府側にはある意味届いていないようです。コミュニケーション不足が原因だと思いますが、少なくともマラウイ国内での活動ですのでマラウイ政府側との十分な協議が必要かなと思います。私も生活していたときに感じたのですが、マラウイは、世界最貧国の一つですが、プライドは非常に高いです。英国の植民地時代からの影響からか国の水準に比べて権利意識も非常に強いです。